第1章|大大阪時代

堂ビルホテル

近代都市の眼・大大阪を眺望する近代ホテル

堂島ビルヂングは、貸事務所としてテナントを募集する一方、ビル内で幾つかの事業を運営している。なかでも堂ビルホテル(当初は堂島ホテル)は、先進的なサービスをするホテルとして注目され、堂島ビルヂングの顔でもあった。竣工時には堂島ホテルとして開業するが、後に堂島ホテル解散に伴い、堂ビルホテルと改称し、堂島ビルヂングの直営となる。創立趣意書には数百の「商店事務所」に加えて「ホテルは以つて内外數百(すうひゃく)の來賓(らいひん)を遇(ぐ)うするに足る」という構想が記載されている。オフィスビルの上階をホテルにするというアイディアも、橋本喜造が世界各地、特にアメリカの実情からヒントを得たものであろう。

当初、ホテルは最上階の9階、8階の予定であったが、社交倶楽部の清交社が堂島ホテル社長の大高庄右衛門、顧問の松芝誠藏と交渉した結果、最上階である9階を清交社に貸し出し、8階、7階の全フロアをホテルにすることでまとまった。

建築概要には「堂島ホテルハ我邦唯一ノコンマーシヤルホテル」とうたわれている。また、「大小二百餘(よ)ノ室ハ内外人ノ旅情ヲ慰ムルニ十分ナル設備」とあり、食堂、日本風呂・洋式風呂、宴会場、神前結婚式場などをホテル内に備えるだけではなく、ビル内に郵便局、銀行、社交倶楽部、薬局、美粧院、理髪店などがあることも利便性の高さとなっていた。

さらに、「船車ノ連絡、各地ホテル間ノ交渉等旅行者及一般公衆ノ要求スル一切各種ノ便宜ヲ圖(はか)ル機關(きかん)トシテノ『パブリツクサーヴイス』社ト提携セリ」とある。つまり、宿泊客が旅行をするにあたり、次のホテルや行先までの交通機関の予約など、ツーリストビュロー的な代行業も行っていた。そのことからも、外国人の旅行者にとっても利便性の高い最新のサービスを備えたホテルを目指していたことが分かる。

実際、当時の新聞を見ると、国内要人に加えて、多数の外国要人の宿泊が記録されている。特に、清交社には財界の名士が集っていたため、頻繁に政治家・軍人・文化人が会合や講演に来ていたことも関係しているだろう。清交社理事長の高石真五郎が、特派員として幅広い国際的な人脈があったほか、後に国際オリンピック委員会(IOC)委員となるほどスポーツ界にも顔が広かった影響もあってか、外国人アスリートの宿泊の記録も残っている。

大阪の洋式ホテルは、1881(明治14)年、中之島に開業した自由亭の支店を基に、1895(明治28)年に洋風建築に改築、改称された大阪ホテルが著名であったが、1901(明治34)年に焼失する。再建されるも1924(大正13)年に再び火災にあい、1920(大正9)年に開業していた支店の今橋ホテルを大阪ホテルと改称して運営した。堂ビルホテルは、まだまだ洋式ホテルが少なかった大阪市内において100室弱の部屋数を擁した。1935(昭和10)年、200室余りの部屋数を数える新大阪ホテルが開業するまで貴重な存在であっただろう。

しかし、オフィスビル需要の増大や1935(昭和10)年に開業した、雲仙観光ホテル(p.62-63参照)経営に力を割く必要が出てくる。1937(昭和12)年以降、日中戦争が激化していく中で、堂ビルホテルは1939(昭和14)年に営業を停止し、用途を貸事務所に変更している。

1923(大正12)年から1939(昭和14)年までの16年間、堂ビルホテルは内外からの多くの客を迎えた。1925(大正14)年に洋画家、小出楢重が描いた堂島や中之島の風景である《街景》は、まさに堂ビルホテル周辺階から描かれたと推察されており、成長する都市を俯瞰する眼でもあったことは特筆すべきだろう。

堂ビルホテル パンフレット

『堂ビルホテル』堂島ビルヂング

表裏表紙/ 日英表紙+交通地図

表裏表紙/ 日英表紙+交通地図
橋爪紳也コレクション蔵

1931(昭和6)年に再建された、大阪城天守閣が掲載されていることから、1930年代に発行されたパンフレットであることが分かる。

中面 / 航空写真+英文解説

中面 / 航空写真+英文解説
橋爪紳也コレクション蔵

商工都市・大阪の中心部にあり、街を鳥瞰するビルの中にあることが視覚的にも強調されている。

中面 / ホテル案内

中面 / ホテル案内
橋爪紳也コレクション蔵

日本風呂・洋式風呂、和食・洋食を備えており、国内外の宿泊客に対応できた様子が分かる。

『觀光地と洋式ホテル』(鐡道省、1934年)によると、合計部屋数は95。内訳は、1人部屋浴室付20、1人部屋浴室無45、2人部屋15、2人部屋浴室無15となっている。

画家・芸術家の岡本太郎の『母の手紙』(チクマ秀版社、1993年)の中に、堂ビルホテルの用箋に書かれた手紙がある。父の漫画家、一平は大阪の定宿にしていたようである。

堂ビルホテル 結婚式・披露宴パンフレット

『堂ビルホテル 御結婚式と御披露宴』堂島ビルヂング

表紙

表紙
橋爪紳也コレクション蔵

結婚式と披露宴専用のパンフレットを製作していることから力を入れていたことがうかがえる。

中面 / 費用の概算+交通地図

中面 / 費用の概算+交通地図
橋爪紳也コレクション蔵

大阪駅・阪急終点・阪神終点から徒歩7分。市電・市バス・青バスは、堂ビル前下車という恵まれたアクセス。

中面 / 神前結婚式と披露宴の解説

中面 / 神前結婚式と披露宴の解説
橋爪紳也コレクション蔵

欧米式の結婚式の影響を受けた神前結婚式や披露宴が、かなり普及していることが分かる。縁結びの神として“出雲大神”をお祀りしていることも特徴的。

中面 / 式順序

中面 / 式順序
橋爪紳也コレクション蔵

小説家の田辺聖子の父が経営していた田辺写真館は、堂ビルホテル結婚式場の特約写真館であった(『田辺写真館が見た“昭和” 』文藝春秋、2005年)。

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