近代都市を建設する母艦
竹中工務店は、橋本汽船ビルの設計・施工に携わっており、堂島ビルヂングの計画にも当初から参画している。社長の竹中藤右衛門は、堂島ビルヂングの株主であると同時に、初期の取締役も担った。その後も、山脇友三郎が堂島ビルヂングの取締役を引き継いでいる。
竣工後は、堂島ビルヂングの3階に本店を置いている。堂島ビルヂングは橋本汽船と竹中工務店の共同プロジェクトの色彩が強いビルであったといえるだろう。
竹中工務店は、江戸初期の1610(慶長15)年に、初代竹中藤兵衛正高(たけなか とうべえ まさたか)が名古屋で創業、寺社仏閣の造営を行っていた。明治維新後、次第に洋風建築を手掛け、名古屋鎮台(1873)、三井銀行名古屋一等出張店(1883)、三井名古屋製糸場(1897)を施工した。1899 (明治32) 年、14代竹中藤右衛門は神戸に進出する。10年後の1909(明治42)年、合名会社竹中工務店を設立し、神戸に本店を置く。1916(大正5)年、藤井厚二の設計による、鉄骨鉄筋コンクリート造の大阪朝日新聞社を施工する。
明治から大正にかけて、建築の規模拡大、煉瓦造から鉄骨鉄筋コンクリート造などへの技術変遷・進化に伴い、竹中工務店においても近代建築技術を身に付けた設計人材の充実が急務となった。堂島ビルヂングの実施設計の設計主任を担当した鷲尾九郎は、1917(大正6)年に入社し、その後の竹中工務店の近代化に尽力した人物である。堂島ビルヂングは、鷲尾が担当した初期のプロジェクトである。1920(大正9)年、鷲尾は妻沼岩彦から堂島ビルヂングの実施設計を引き継ぐ。鷲尾は新たに建築顧問となった武田五一の下に通ったが、「よかろう。しっかりやり給え」と何の注文も修正もせず、現場に来たのは3回だけだったというエピソードが残っている(『記 鷲尾九郎氏の備忘』竹中工務店、2014 年)。
1923(大正12)年、竹中工務店は、堂島ビルヂングの3階の南側にあたる307~311号室に入居し、12月には神戸から本店を移した。鷲尾の回顧録によると、設計部の部室は、最も環境の良い所が割り当てられ、南東の角部屋が使用された。東・南・北に窓があり、東側と南側には裏通りが面し、さらに南側の向こうには堂島川が見えたという。北側にはかなり広い陸屋根がついており、その一隅に青写真室を造ったようである。
鷲尾は「陸屋根で焼き付け、青写真室で水洗いをする。この頃でもまだ烏口の厄介になったようだ。堂ビル時代の末期に青写真はすべて外注していたように思う。陸屋根を使用してデッキ・ゴルフの真似をしたり、設計部の一部に卓球台を常備して設計事務所を招待してゲームをした記憶がある」と述懐している(『記 鷲尾九郎氏の備忘』)。
竣工年の9月には、関東大震災が起こる。震災後は、竹中工務店も横浜正金銀行本店復旧工事、郵船ビル復旧工事など、震災復旧のビル建設に携わることになる。その後、鷲尾は、宝塚大劇場、阪急ビル(Ⅰ期~Ⅳ期)など、小林一三(こばやし いちぞう)が構想した郊外開発やターミナルビルの設計を担当した。1930(昭和5)年には建築見学のために、石川純一郎(いしかわ じゅんいちろう)とともに欧州各地の視察を行った。小林は鷲尾を「竹中の至宝」と評したという(『記 鷲尾九郎氏の備忘』)。
間接的ではあるが、堂島ビルヂングは小林の構想を実現するための保育器の役割を担っていたといえる。1931(昭和6)年10月、石川の設計による、大阪朝日ビルの竣工とともに竹中工務店本店は堂島ビルヂングから移転した。
3階平面図
(株)竹中工務店蔵
(307~ 311号室までが竹中工務店本店、307号室が設計部)
阪急ビル(Ⅰ期)
(株)竹中工務店蔵
1929(昭和4)年竣工。
宝塚大劇場
(株)竹中工務店蔵
1924(大正13)年竣工。
大阪朝日ビル
(株)竹中工務店蔵
1931(昭和6)年竣工。
山脇友三郎
(不明 –1948)
(株)竹中工務店蔵
鷲尾九郎
(1893 –1985)
(株)竹中工務店蔵
石川純一郎
(1897–1987)
(株)竹中工務店蔵
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