国際化を先駆けた、風景に溶け込むモダンなホテル
1930(昭和5)年、鉄道省の外局として国際観光局が設立され、外貨獲得のために、日本各地に外国人向けのホテル建設の促進が計画された。国際観光局は、低利融資の制度を整えて地方自治体を支援し、上高地ホテル、蒲郡ホテル、川奈ホテル、赤倉観光ホテルなどが建設された。
雲仙も明治以降、外国人の避暑地であり、上海航路などで外国人客が多く訪れていることから、ホテルの建設地となった。それにあたり、長崎県も国際観光局から融資を受け、県選出の代議士であり、堂ビルホテルという洋式ホテル経営の実績がある、堂島ビルヂング社長、橋本喜造に建設及び運営を依頼した。
1934(昭和9)年には、株式会社雲仙観光ホテルが設立される。同年12月から、竹中工務店によって設計・施工が行われた。設計は、藤井厚二と同期入社で、黎明期の竹中工務店の設計部を支えた早良俊夫(さがら としお)が担当した。スイスのアルプス地方にみられるシャレー様式と、切妻屋根の日本在来建築を融合し、豪華さと素朴なコテージ趣味を兼備したデザインとなった。
地下及び1階は骨材に丸石が用いられた鉄筋コンクリート造、2、3階は木造となっている。木造部分は、柱や梁、斜材など木造骨組を表に出すハーフティンバー技法が採り入れられ、雲仙の溶岩石、杉の丸太、米松などが使われた。雲仙観光ホテルは、竹中工務店が設計・施工を担った最初のホテルとなった。
1935(昭和10)年10月10日、国有地及び県有地約2,500坪(約8,264㎡)の敷地に雲仙観光ホテルがオープンする。前年の1934(昭和9)年には、1931(昭和6)年に施行された国立公園法に基づき、瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園、霧島国立公園の3か所が国立公園に指定されたため、国立公園内のホテルとなった。そして、風光明媚な景勝に立つ近代的な設備を持つホテルは、多くの賓客を迎えることになる。
1938(昭和13)年には、ハンガリー文化使節、イストラン・メゼイ博士が宿泊し、「雲仙の景色は實(じつ)に素晴すばらしい」「南歐(なんおう)チロルの山の美にリビヤの海の美を加えたようなものだ。崇高な世界美といふものは西洋的美と東洋的美が渾然一體(こんぜんいったい)となつたものだと思ふがこれを雲仙で發見(はっけん)することが出来た」「東洋的であり、西洋的であり、しかも何ら不自然さがない」として、雲仙の景観とホテルを絶賛した(『大阪朝日新聞』1938年2月27日付)。また、皇族方が、佐世保海軍、大村陸軍病院慰問のため雲仙観光ホテルに宿泊している。
しかし、戦争が激化するにつれ次第に来客が減少する。一方、佐世保基地が近くもともと多くの病人が療養に来ていたこともあり、雲仙の多くの宿泊施設は1942(昭和17)年に海軍に徴用された。
終戦後、佐世保基地、板付基地(現・福岡空港)が付近にあったこともあり、進駐軍に接収された。米軍将校のレストハウスとして使用されるようになり、従業員も米軍に雇用された。1950(昭和25)年に接収が解除されて営業が再開され、同年、国際観光ホテル整備法に基づき政府登録ホテル(政府登録国際観光旅館)に登録された(登録ホ第29号)。1961(昭和36)年4月には、昭和天皇皇后両陛下がご来仙、ご宿泊された。
2003(平成15)年には、登録有形文化財となり、2004(平成16)年には、「新しくノスタルジア」というコンセプトのもと大改修工事が行われた。2007(平成19)年には、長崎県「まちづくり景観資産」、経済産業省「近代化産業遺産」に認定された。雲仙観光ホテルは、堂島ビルヂングと並んで、竣工当時の躯体を残しつつ、現在に適応したホテルといえるだろう。
表面
裏面
『UNZEN KANKO HOTEL』雲仙観光ホテル
一番最初に発行されたパンフレット。外国人観光客向けにすベて英文で書かれている。
表面
裏面
『雲仙観光ホテル』雲仙観光ホテル
上海、大連、天津、青島、香港、マニラ、台湾、シンガポールなど海外の地名が並ぶ。長崎から上海、台北などに直行便が出ていた。
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