第1章|大大阪時代

清交社

大大阪の企業家を育てた社交倶楽部

清交社は、1923(大正12)年、大阪毎日新聞社の高石真五郎(主筆、後に会長)を代表理事として設立された社交倶楽部であり、1930(昭和5)年12月18日には社団法人として文部大臣に認可された。創立時から竣工直後の堂島ビルヂング9階に入居し、松下幸之助(まつした こうのすけ)(松下電器産業創業者)や小林一三(阪神急行電鉄創業者) など、大大阪時代に活躍した多くの財界人が社員となった。

清交社の沿革概要には「我大阪には自由なる色調を有する倶樂部(くらぶ)なく僅かに大阪倶樂部(くらぶ)其他特種のものを有するのみ」「東洋第一の商工都市として誇る大阪市として聊(いささか)時代後れの感あり」「南保一(みなみ やすかず)君は我大阪に東京交詢社(とうきょうこうじゅんしゃ)の支社設立を企圖(きと)し京阪神に在住せる同社々員長老と懇談する處(ところ)あり」「適當(てきとう)なる位置と建築物のなきため荏苒(じんぜん)時の至るを待つ」と記載されている(「社団法人淸交社沿革槪要」『社員名簿No.1』清交社、1932年)。

発案者の南は堂島ビルヂングの竣工が近いことを知り、専務取締役であった長井信太郎と借入交渉を開始する。さらに8、9階に入居予定だった堂島ホテルと交渉し9階を譲り受けた。その後、高石、斎藤藤四郎(さいとう とうしろう)らが橋本喜造と会談し、9階を倶楽部会館とすることが決定した。

当初は、慶應義塾大学の卒業生からなる交詢社の支社として計画されていたが、南は早稲田大学出身の西尾謙吉(にしお けんきち)に相談し、最初の発起人には学府が偏り、学閥になってはいけないということで、各大学の卒業生を募った。そして、高石が両氏に依頼されて創立委員長となった。

1923(大正12)年の3月23日に中央電気倶楽部で創立実行委員会を開催、4月には事務所を開設し社員を勧誘、500人に達する人がこれに応じた。4月26日には、大阪市中央公会堂で創立総会、4月30日には、第一回理事会が開催され、互選の結果、代表理事に高石、評議員会長に齋藤らが選ばれた。5月下旬には事務所を堂島ビルヂングに移転し、7月15日に開館式が開催された。450名以上が出席し、關一(せき はじめ)大阪市長の万歳三唱で式典が締めくくられる盛大なものであったという。

その後も清交社には、多くの財界人が加入し、囲碁やビリヤード、詩吟、ゴルフ、スキーなどの娯楽以外に、さまざまな行事や勉強会が開催されている。政治家や軍人を呼んだ世界情勢の講演、ベルリン・オリンピック出場選手の歓迎会、元プラトン社社員の直木三十五など、文化人による講演など実に多彩であり、「大大阪」で活躍した人々の社交の中心となった。公益的な活動も盛んであり、創立間もない9月に関東大震災が起こった際、清交社は多額の義援金を寄付している。

第二次世界大戦以降、戦況が厳しくなるにつれ、多くの倶楽部が軍によって徴用される。終戦後は、大阪にも連合国軍が進駐して多くのビルが接収されることになった。清交社も1945(昭和20)年10月に米軍の将校倶楽部とする指令を受けたが、外交能力に長けた高石が交渉を行い、進駐軍指令の解除に成功する。結果的に、清交社の存在によって、堂島ビルヂングは接収されるのを免れたことになる。喜造らが創立を支援したのは慧眼だったといえるだろう。

清交社は、戦後も堂島ビルヂングを倶楽部会館とし、1999(平成11)年9月、全日空ホテル内(現・ANAクラウンプラザホテル大阪)に移転するまでの76年間、堂島ビルヂングの象徴的存在であった。

6月1日8周年創立記念祝賀会

6月1日8周年創立記念祝賀会
(一社)清交社蔵

『清交社會報』第1巻第7号、1931(昭和6)年より。

ベルリン・オリンピック歓迎午後会

ベルリン・オリンピック歓迎午後会
(一社)清交社蔵

『清交社會報』第6 巻第12号、1936(昭和11)年より。『清交社會報』第6巻第12号、1936(昭和11)年より。左より竹村令(水泳)、守岡初子(水泳)、高石理事長、平沼亮三(選手団団長・清交社社員)、大島鎌吉(陸上主将)、淺本俊一(馬術マネージャー)。

出征祝いの横断幕

出征祝いの横断幕
(一社)清交社蔵

『清交社會報』第7巻第11号、1937(昭和12)年より。「祝出征祈武運長久」と書かれており、日中戦争以降、多くの社員が出征した。

清交社社員、小林一三前商工大臣を迎えて午後会

清交社社員、小林一三前商工大臣を迎えて午後会
(一社)清交社蔵

『清交社會報』第11巻第5号、1941(昭和16)年より。小林は、1940(昭和15)年7月22日、第2次近衛内閣で商工大臣となったが、1941(昭和16)年4月22日、辞任している。

『清交社會報』第6巻第7号 (表紙)1936(昭和11)年

『清交社會報』第6巻第7号 (表紙)1936(昭和11)年
(一社)清交社蔵

この年は堂島ビルヂングの外観が描かれた。

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