第1章|大大阪時代

館外風景

大大阪を見渡すパノラマ

『株式會社堂島ビルヂング建築槪要』より。

露臺(ろだい)ヨリ東南ヲノゾム

露臺(ろだい)ヨリ東南ヲノゾム

中之島の中央公会堂、中之島図書館のほか、1924(大正13)年に焼失した大阪ホテルが見える。堂島川可動堰(現・水晶橋)は、1929(昭和4)年竣工のためまだ存在しない。同じく、遠方に大阪城と書かれているが、天守閣の再建は1931(昭和6)年竣工のため存在しない。山口銀行、野村銀行の経営者は、堂島ビルヂングの出資者でもある。

露臺(ろだい)ヨリ南方ヲノゾム

露臺(ろだい)ヨリ南方ヲノゾム

南方の御堂筋方面を見た風景。ただし、御堂筋の拡幅工事は1926(大正15)年着工のためまだ狭い。真南に大阪市庁舎、対面に日本銀行が見え、奥に藤本銀行、建て替え前の住友本店が見える。藤本銀行とは、現在の北浜4丁目にあった藤本ビルブローカー銀行のことであり、株式会社堂島ビルヂングの最初の事務所が入居していた。

露臺(ろだい)ヨリ西方ヲ望ム

露臺(ろだい)ヨリ西方ヲ望ム

大阪朝日新聞社の社屋は、1916(大正5)年、竹中工務店の設計・施工により完成した鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階建てのビル。当時竹中工務店に勤務していた藤井厚二が設計した。奥には、江之子島にあった、大阪府庁舎が見える。

露臺(ろだい)ヨリ北方ヲ望ム

露臺(ろだい)ヨリ北方ヲ望ム

1901(明治34)年に大阪駅が現在地へ移転され、1903(明治36)年に第5回内国勧業博覧会が開催されたことをきっかけに整備された梅田新道が見える。突き当りの阪急食堂は、1920(大正9)年、5階建ての阪急ビルの竣工に伴い、2階に開設された。1階には白木屋が誘致され、白木屋梅田出張店として営業されていた。

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