第1章|大大阪時代

館内風景

大大阪における最先端の設備

『株式會社堂島ビルヂング建築槪要』より

写真:一階表玄關エレベーター昇降口

一階表玄關エレベーター昇降口
(株)竹中工務店蔵

1852年、アメリカの発明家、エリシャ・オーチスは、エレベーターの落下防止装置を発明。1853年、オーチス・エレベータ・カンパニーを創業し、1854年、ニューヨーク万国博覧会で実演を行う。 1896(明治29)年、日本銀行本店に、日本で最初にオーチス製エレベーターが導入された。 堂島ビルヂングにも日本法人設立前にオーチス製のエレベーターが設置された。9階建ての屋上階まで至るエレベーターは大阪初であった。中央の玄関両側に乗客用が6基あり、速度は毎分200尺(約61m)、南側の荷物用の1基は、毎分50尺(約15m)であったという。

写真:銀行室

銀行室
(株)竹中工務店蔵

三井銀行、山口銀行、大阪貯蓄銀行が1階に入居していた。その他のフロアにも金庫室があり、小金庫が16個備え付けられていた。入口の扉には自動表示装置が付けられており、開閉すると、守衛室に伝わる仕組みになっていたという。平成の改修時にOA対応をするために、狭小なパイプスペースを拡張、金庫室の一部が解体されたが、現存している貴重な設備になっている。

写真:電話交換機ノ一部

電話交換機ノ一部
(株)竹中工務店蔵

電話、郵便など通信環境が完備され、貸事務所だけではなく、ホテルの宿泊客や訪問客にとっても利便性が高かった。メールシュートは各階に設けられており、投函すると1階の郵便局にすぐに到達した。電話は加入回線が600本あり、私設電話が500台あったという。さらに、各階の自動瓦斯湯沸器の傍らに取り付けられたダストシュートからゴミを捨てることができ、それらは地下ゴミ室に直接運ばれたという。

写真:地下大食堂ノ一部

地下大食堂ノ一部
(株)竹中工務店蔵

当初、地下1階には、中央広間の右に堂島ホテルが経営する大小の食堂からなる堂ビル食堂があった。和食・洋食のほか、うどん、すし、汁粉、丼物に至るまで低廉な価格で提供していたという。その後、堂島ホテルの解散に伴い、堂ビルホテル(堂島ビルヂング)の直営となった。地下食堂の柱のタイルと床タイルの一部が現在も保存されている。

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