日米の建築家が共作。高層オフィスビル時代を切り拓く機能美
竹中工務店は、地上3階・地下1階の大阪朝日新聞社(1916)や地上4階の橋本汽船ビル(1917)など、早くから鉄骨鉄筋コンクリート造や鉄筋コンクリート造を手掛けた経験があった。しかし一方で、同時期、米フラー社との合弁会社が丸ノ内ビルヂング(1923)や郵船ビルディング(1923)を着工するなど、アメリカ流の高層オフィスビルの設計・施工技術が求められるようになってきていた。そのため竹中工務店も、アメリカで活躍する日系アメリカ人建築家、妻沼岩彦に堂島ビルヂングの設計を依頼することになった。
1920(大正9)年5月に竹中藤右衛門が米国視察に行き、妻沼建築事務所を訪問、6月22日に「大阪ビルディング設計依頼に関する契約」を締結する。同時に竹中に同行した島本四郎を妻沼建築事務所に預け、堂島ビルヂングなどの設計を担当させている。『第十四世竹中藤右衛門叙事伝』(竹中工務店、1968年)からは、竹中が、妻沼と共同で島本に任せる予定であったことが読み取れる。しかし、妻沼が設計を始めた矢先の7月、御堂筋の拡幅が公示され、予定敷地の前面12間(約22m)を切り取られることが確定、大幅な設計変更が必要となった。竹中と妻沼は協議し、市街地建築物法の施行も控えるなか、現場から遠いニューヨークでは折衝を要する設計は困難と判断した。
そのため原案を尊重するという条件で、実施設計を鷲尾九郎(わしお くろう)(後の竹中工務店大阪本店初代設計部長)が担当することになった。同時に、関西建築界の第一人者で、京都帝国大学建築学科教授の武田五一(たけだ ごいち)を建築顧問に迎える。鷲尾は武田の下に通って実施設計を仕上げる。一方で、島本も妻沼建築事務所に一室を借り、アメリカ滞在中に設計図の修正を図っている。つまり、日米の建築家の指導を受けながら設計が行われたわけだ。
また、構造計算は藤井彌太郎(ふじい やたろう)(後の設計部計算部長)が担当した。当時、高層建築の鉄筋コンクリートの構造設計ができる人材は限られていた。その中で、京都帝国大学土木学科教授の日比忠彦(ひび ただひこ)は、当時鉄筋コンクリート研究の権威として知られていた。藤井は彼の教え子であった。
建築概要には「関西唯一ノ堂島ビルヂングノ出現ハ時代ノ産物トシテ華美又ハ豪壯(ごうそう)ナド誇リノ氣分(きぶん)ヲ離レテ堅固ナル組立ノ上ニ輕快(けいかい)ナル『ビジネスルーム』ノ提供ヲ主眼トシ採光、通風、給湯水、排水、電燈、電話等ノ設備ニ最善ノ努力ヲ爲(な)シタルハ徹底シタル實用(じつよう)ニ立脚セル新時代ノ要求ト言フベク」と記載されている(『株式會社堂島ビルヂング建築槪要』1923年)。
意匠は、「近世式」と記されている。アーチ型の玄関やエレベーターを収容する塔屋の幾何学的なあしらいは、セセッションやアール・デコの影響がうかがえる。創立趣意書に所収の完成予想図は、南西の角が曲面になっており、さらにアール・デコ調が強調されていた。最終案は直線的な表現になっている。
御堂筋側からは長方形に見えるビルだが、裏側に回るとかなり様子が異なる。かつては曽根崎川(蜆川)から堂島川に至る先端部分の名残である、半円状の敷地に合わせて作られている。3階以上が凹型になっているのは、もともと上階にホテルを作る予定であったため、個室を増やし換気や採光の必要があったからだと思われる。地形と用途に合わせた合理的で機能的な設計がユニークな造形を生んでいる。
起業目論見書に記されている「耐震、耐火、耐久的建築」「白色化粧煉瓦張リトシ堂々タル白堊舘(はくあかん)ヲ出現セントス」という理想を実現し、「黒く低い屋根の海」(小出楢重「上方近代雜景」)にひときわ輝く白亜の高層ビルは、「大大阪」を牽引する象徴的存在になっていく。
大阪ビルディング設計依頼に関する契約 1頁目
(株)竹中工務店蔵
大阪ビルディング設計依頼に関する契約 2頁目
(株)竹中工務店蔵
堂島ビルヂング竣工写真
(株)竹中工務店蔵
竹中藤右衛門
(1877–1965)
(株)竹中工務店蔵
島本四郎
(1890 –1939)
(株)竹中工務店蔵
鷲尾九郎
(1893 –1985)
(株)竹中工務店蔵
藤井彌太郎
(不明 –1927)
(株)竹中工務店蔵
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