第1章|大大阪時代

平面図

敷地を活かした個性的な間取り

『株式會社堂島ビルヂング建築槪要』所収の平面図を見ると、御堂筋側の正面は直線的だが、背面は半円状の個性的な造りになっている。かつて曽根崎川(蜆川)から堂島川に至る先端部分だった敷地の形をなぞるように設計されているのが分かる。

1階はショーウィンドーと店舗の空間を確保するため、南北の廊下が中央部分にある。2階以上は手前に位置している。3階以上が凹型なのは、上階にホテルを設置するために個室の増加と採光、換気の必要があったからだと思われる。7、8階のホテルの図面は未掲載であった。

各階の平面図と開館時の店舗概要

『株式會社堂島ビルヂング建築槪要』堂島ビルヂング、1923(大正12)年7月より。

地階

地階 (株)竹中工務店蔵

商店の倉庫と、堂島ホテルが経営する堂ビル食堂のほか、日本理髪(理髪店)、文化堂(クリーニング店)などが入居した。堂ビル食堂は、堂島ホテルの解散後、堂ビルホテル(堂島ビルヂング)が直営した。また、浄化装置や暖房室、電池室、ポンプ室など設備用の多くの部屋があった。

第一階

第一階 (株)竹中工務店蔵

三井銀行、山口銀行、大阪貯蓄銀行のほか郵便局があり、入居者はビル内のメールシュートから直接投函できた。また101号室に堂島大薬房(薬局、後に堂島ファーマシー)、102号室に丹金北店(貴金属)、104号室に森永製菓(森永ソーダファウンテン)、105号室に中山太陽堂(化粧品)、106号室に東京電気などが入居した。

第二階

第二階 (株)竹中工務店蔵

西村二郎商店が堂ビル百貨店を開店し、洋服、靴、鞄、カメラ、書籍、菓子、喫茶店などの専門店が入居した。

第三階

第三階 (株)竹中工務店蔵

307号室から311号室まで竹中工務店が入居し、後に本店とした。また312号室に、戦後、地下に柔術道場を開く戸張ほねつぎ療院も入居した。

第五階

第五階 (株)竹中工務店蔵

中山太陽堂(化粧品)が創立10周年を記念して、全フロアを貸し切り、中山文化研究所を設置。歯科院や美容院のほか、さまざまな研究施設が置かれた。

第九階

第九階 (株)竹中工務店蔵

清交社(社交倶楽部)の会館として、大食堂(舞台あり)、ビリヤード室、酒場、囲碁室、談話室、図書室などが置かれた。食堂は堂島ホテルが清交社に委託され運営していたが、堂島ホテルの解散後は堂ビルホテルが直営した。

屋上

屋上 (株)竹中工務店蔵

堂島ホテルが運営する屋上庭園が置かれた。堂島ホテルの解散後、堂ビルホテルが直営した。

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